霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん)
霧島神宮(鹿児島県霧島町)・東霧島神社(つまきりしまじんじゃ / 宮崎県高崎町)・狭野神社(さのじんじゃ/ 宮崎県高原町)・霧島東神社(きりしまひがしじんじゃ / 宮崎県高原町)・霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ / 宮崎県小林市)以上5社の総称。以前は文字通りの六社でしたが、霧島岑神社と夷守(ひなもり)神社が明治6年(1873)に合祀されたため現在はこの五社。
そのほか宮崎県の南部霧島山側にある山田町の山田神社や安原神社が六社の中に含まれていたとする主張もある。
現在では観光的な意味合いで同じ、性空上人の整備したえびの市の「白鳥神社」や高原町の「霞神社」を六社とすることもあります。(上記ピンク色の表)
六社権現の御祭神は上記のようになっていますが、元始的信仰は霧島山そのものを御神体とした「霧島御山信仰」でありました。霧島山周辺の神社を六社権現として整備したのは、10世紀村上天皇の頃、天台法華仏教を奉じ修験道信仰を確立した性空(しょうくう)上人です。
性空上人は霧島でも修行して霧島山信仰を体系づけた人物であり、高千穂峰頂上にある「天の逆鉾」も、この性空上人のながれをくむ修験者が置いたものではないかといわれています。
霧島六社権現は他に「霧島山六宮権現」・「霧島六社」とも呼ばれます。また、「霧島六所権現」という表現があり、しばしば混同されているようですが、この場合の六所の「所」は神仏や貴人を数えるのに用いる語であり、場所のことではありません。天孫神代三代の夫婦六座を祀っているので六所権現といいます。昔は現在の霧島六社権現の他にもいくつかの霧島六所権現と呼ばれた社があったようです。一例を挙げると、旧・高城町の大井手・霧島元には室町時代応永二十五年建立の霧島六所権現社があり、明治の始めに廃社となってしまいましたが、現在「霧島社跡」が残っています。
参考:宮崎「あっちこっち」
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