鹿児島県霧島市隼人町の鹿児島神宮摂社『石體神社』(しゃくたいじんしゃ)です。 安産の神様として有名ですがこれは鹿児島神宮御祭神である山幸彦のお妃神である豊玉姫命が鵜草葦不合尊を御安産の故事によるものだそうです。 毎月戊の日に、安産や子供を授かりたい方はお参りをして、社前の小石を頂いて持ち帰ると玉のような元気な子を授かると云い伝えられる。 安産後はそのお返しとして河原の清浄な小石を拾い二個にしてお返しする慣わしがある。 「いわた帯」発祥の地ともいわれる。



左は灯篭、右は参道の狛犬です。かなりの年代ものです。

 御本殿です。このときことのほか雨風強く、周辺の樹木の枝葉が御社殿の屋根の上に。





   



 鹿児島神宮と宇佐神宮。元祖八幡の争いは神社史書に様々に登場します。
 この神社が正宮だったころには宇佐神宮との「正八幡」の本家争いがしれつであったのです。

 鹿児島神宮を「正八幡」と主張していた為に宇佐から十五人の使者が来ていずれが正八幡宮であるかを調べて遂に鹿児島神宮に火を懸けた。そしてその煙の中に『正』の字が現れた。よって、使者はそれを認めて宇佐に帰ったそうだ。

《鹿児島神宮史》

 宇佐神宮の御神体山「御許山(おもとやま)」には三巨石を祀る「石体権現」(しゃくたいごんげん)があるが、これは宇佐神宮創建前より信仰があったようです。 宇佐とのかかわり多大であります。

 こちらの名物「石塔」です。安産の神様の由来ともなっております。
地元崇敬者が懐妊時にこちらに石を。





   



 石体神社の横に「高千穂宮」あとがあります。
鹿児島神宮が創建される以前は石体神社が本宮とされていた。
この地に『皇居』があったのです。