「鹿児島」「宮崎」「熊本」の三県にまたがる宮崎県えびの市の「白鳥山」にある「白鳥神社」です。御鎮座地「えびの」はその高原に広がるススキ野が夏も終わる頃になるとなると、硫黄山の硫気の影響で赤い絨毯を敷き詰めたような「えび色」に変ることから、「えびの」(高原)と名付けられたと言われています。
古来この地は、霧島連山につらなる神山であり古くは熊襲族の崇敬する神々が祀られていたと考えられますが、平安後期に天台宗修験僧「性空」により「白鳥権現社」が造られました。
この神社は熊襲征伐をしたとされる故事から南九州ではあまり人気がない(?)「日本武尊」(ヤマトタケルノミコト)をお祀りする神社です。実際に鹿児島、宮崎では御祭神としてお祀りしている神社はきわめて少ないと建部神社の山下宮司もいっておられました。
私の尊敬する戦国武将、島津義弘(維新)公との関わりも深く「木崎原の合戦」時に公がこの御社に戦勝祈願奉り見事勝利したことから『白鳥権現の御加護の賜物』と社寺領143石を寄進したほどです。
その後も、島津氏は軍を興すたびに、おみくじを引き、勝利を誓願したようです。
御祭神の性格から軍神として称えられていたようです。
こちらの「白鳥」はすんなり しらとり と読みます。同じ社名(漢字)、御祭神で有名な四国香川県の「白鳥神社」は しろとり であり読み方が違います。ちなみこの御社とは関係ありません(後ほど詳しく説明しますが)ただ、全国に広がる「日本武尊の白鳥伝説」に由来することでは同じです。
上記のように「白鳥大権現」創建は「霧島六社権現」を整備した「性空上人」のてによるものです。
本来、性空の定義する六社権現ではないのですが、「夷守神社」が明治時代に霧島岑神社に合祀され、五社になってしまった事や観光上の理由などから今は六社権現に準じた形で他の霧島の神社と同じく崇敬の対象となっています。 |