この神社の玄関、一の鳥居です。さほど大きくありませんが白木のすばらしい鳥居です。平成15年に崇敬者寄進により建立されました。



 「鹿児島」「宮崎」「熊本」の三県にまたがる宮崎県えびの市の「白鳥山」にある「白鳥神社」です。御鎮座地「えびの」はその高原に広がるススキ野が夏も終わる頃になるとなると、硫黄山の硫気の影響で赤い絨毯を敷き詰めたような「えび色」に変ることから、「えびの」(高原)と名付けられたと言われています。
 古来この地は、霧島連山につらなる神山であり古くは熊襲族の崇敬する神々が祀られていたと考えられますが、平安後期に天台宗修験僧「性空」により「白鳥権現社」が造られました。
この神社は熊襲征伐をしたとされる故事から南九州ではあまり人気がない(?)「日本武尊」(ヤマトタケルノミコト)をお祀りする神社です。実際に鹿児島、宮崎では御祭神としてお祀りしている神社はきわめて少ないと建部神社の山下宮司もいっておられました。

 私の尊敬する戦国武将、島津義弘(維新)公との関わりも深く「木崎原の合戦」時に公がこの御社に戦勝祈願奉り見事勝利したことから『白鳥権現の御加護の賜物』と社寺領143石を寄進したほどです。
その後も、島津氏は軍を興すたびに、おみくじを引き、勝利を誓願したようです。
御祭神の性格から軍神として称えられていたようです。
 
 こちらの「白鳥」はすんなり しらとり と読みます。同じ社名(漢字)、御祭神で有名な四国香川県の「白鳥神社」は しろとり であり読み方が違います。ちなみこの御社とは関係ありません(後ほど詳しく説明しますが)ただ、全国に広がる「日本武尊の白鳥伝説」に由来することでは同じです。

 上記のように「白鳥大権現」創建は「霧島六社権現」を整備した「性空上人」のてによるものです。
本来、性空の定義する六社権現ではないのですが、「夷守神社」が明治時代に霧島岑神社に合祀され、五社になってしまった事や観光上の理由などから今は六社権現に準じた形で他の霧島の神社と同じく崇敬の対象となっています。



 一の鳥居をくぐると両脇に杉の大木が生茂る杜が広がります。
すぐ参道の急な階段があり、それを上がるとすぐに二の鳥居。(右上)本殿が目前です。性空上人の創建であり神仏習合色は強い。ロウソク台に献灯してお線香を立てます。

 白木造の立派な御拝殿です。はじめてこちらの神社にお詣りさせていただいた時なんと
も言えないさわやかな心持ちになったこと覚えています。こんな気持ちになったのは久しぶりです。自分にとって、とても波長のあう神社です。
 御社殿は昭和にはいり社殿の老朽化による雨漏りなどの被害もでたようで昭和61年に一部改補修その後、崇敬者の寄進により平成15年から御本殿を本格的に改修、現在の御社となりました。

 御拝殿の中にはいらさせていただきました。内部も真新しい白木造です。
改修されてから、しばらくたっているにも拘わらず未だに強い木の香がいたします。




    


 末社 前神社(左右とも同じ社名) 櫛石窓神 豊石窓神
 古事記の天孫降臨の段に登場する神様。邇邇芸命が天降る際、三種の神器に常世思金神・天力男神・天石門別神を添えたと記され、同段で天石戸別神は又の名を櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、豊石窓神(とよいわまどのかみ)といい、御門の神であると記されています。
 そして「御門の神」ということですが天津神である天石戸別神が日本武尊の脇をかためる神様とは少し不思議な気がします。
なんの御縁なのかは不明。単なる門守神社なのか。